t-yamaguchiの日記

書評や、気になったことをブログや日記に書きます。

勝ち続ける人は、なぜ“勝ち”を目標にしないのか

はじめに

この日記を書いている現在、ミラノ・コルティナ冬期オリンピックが行われている。
オリンピックでは、1位だけでなく、2位や3位にもメダルが贈られるため、1位以外にもきちんと価値が認められていることが特徴だと言えると思う。

しかし、私が著書やYouTubeなどでその言動をウォッチしている落合博光氏は、自身の著書である『采配(さいはい)』の中で、次のように述べている。

「勝負の世界においては、一番と二番には、天国と地獄にたとえられるほどの差がある」

確かに、オリンピックにおいても、金メダルと銀、銅のメダルの価値には大きな違いがあると言われることがある。
しかし、1位を取らなければ価値がない、金メダルだけが意味を持つ、と考えることは、選手にとって大きな精神的負担になるように思われる。

今回のオリンピックでも、男子フィギュア・スケートの第一人者で「王者」と呼ばれていた選手が大失敗をし、金メダルだけでなく、メダルそのものを逃す結果に終わってしまった。
やはり、「勝つことが当たり前」「金メダルの最有力候補」というプレッシャーは、並大抵のものではなかったのであろう。

そんな中で、おそらく他の選手とは異なる考え方で高いパフォーマンスを維持し続け、長期にわたって「1位」を維持したスポーツ選手が、かつて存在した。

今日はその話をしてみたい。

 

1.「いつも2位を狙っている」と語ったトップアスリート

その選手は、「いつも2位を狙っている」と公言していた。
その選手とは、女子プロゴルファーの不動裕理さんである。

不動さんを知らない方もいると思うので、簡単に紹介しておこう。
不動さんは、2000年から2005年までの6年連続で日本女子ゴルフツアーの賞金女王(賞金ランキング1位)となり、マネークイーンの称号を保持し、国内での優勝回数50回を誇る、「レジェンド」と言ってもよい名プロゴルファーである。

そんな不動さんが全盛期に、「優勝を狙わずに、いつも2位を狙ってゴルフをしている」と発言していたのである。

不動さんがこのように発言する背景には、プロゴルフツアーにおける独特の賞金システムがある。
プロゴルフツアーでは、2位は1位のおよそ半分の賞金を得ることができる。他の競技では、2位の賞金が「1位の何分の1」であることが多い中、これはかなり異例の配分だと言える。

さらに、プロゴルフツアーでは、各トーナメントの順位や賞金も重要だが、最終的にはシーズンを通じた獲得賞金総額が重視される。賞金女王もそうだし、翌年のシード選手も獲得賞金総額で決定される。
こうした独特の評価制度があることも、大きな要因である。

不動さんは、普段は「2位を狙う」という姿勢で臨み、調子が良かったり、1位の選手が崩れたりした時に初めて1位を狙いにいく。
その心構えが、彼女を6年連続の賞金女王に導いた、というのである。

 

2.「2位を目指す」ことがもたらした合理性

私は、不動さんの思考方法が、決して「敗北主義=最初から負けることを考えている」ものではない、という点が特に重要だと考えている。

2位を目指すことでリラックスし、できるだけ平常心に近い状態で競技に臨むことで、緊張によるパフォーマンス低下を防ぐ。
これは、極めて合理的な方法なのである。

不動さんは当時の第一人者であり、常に優勝が期待される存在だった。
「いつも2位でいい」というスタンスで試合に臨むことで、そのプレッシャーに打ち勝つことができたと語っている。

私は、不動さんの言う「2位を目指す」ことのメリットに、もっと多くの選手が気づくべきではないかと考えている。

すでに1位を獲得した人が、「1位でなければならない」と語る気持ちは理解できる。
しかし、現役の選手に対してそうした言葉を投げかけることは、無用なプレッシャーを与えることにもつながるのではないだろうか。

不動さんはかつて、「どうして、他の選手は2位を目指さないのか、不思議です」と発言していた。
この言葉はあまり注目されなかったようだが、いつの時代にあっても、見直されてよい考え方ではないかと思っている。

 

おわりに――勝ち続けるために

スポーツ競技は近年、非常に高い人気を誇り、ビジネスとしても注目されている。
その中で注目を浴びるスポーツ選手は、さまざまな重圧を背負いながら戦っており、そのプレッシャーは計り知れないものだろう。

決して比較できるものではないが、私は高校時代、スポーツ競技ではないものの、団体戦で「優勝しなければならない」というプレッシャーの中で戦った経験がある。
幸い結果として優勝することはできたが、かなり胃が痛くなる思いをした。

たかだか高校生の戦いでさえそうなのだから、金メダルを目指すようなハイレベルな戦いにおけるプレッシャーは、想像を絶するものだろう。

私のようなレベルであっても、「2位でもかまわない。全力を尽くせばいい」と考えて臨めていれば、もっと楽な気持ちで戦えたのではないか、という思いはある。
そう考えると、「2位を目指す」という考え方は、やはり見直されてもよいのではないかと、私は考えている。

「簡単にできる」ことが示すもの

はじめに

この日記を書いている現在、ミラノ・コルティナ冬期オリンピックが行われている。オリンピックでの競技を見ていると、どの競技でも、特にトップの選手は、いろいろな競技を実に華麗にかつ「簡単そうに」こなしているのが印象的である。

それを見ていて、なぜかNHKのある番組を思い出した。

 

1.工場訪問の番組

土曜日のお昼時に、NHKで放送されている「探検ファクトリー」という番組を、ほぼ欠かさず見るようにしている。

この番組は、関西のお笑い芸人3人(中川家の2人とすっちー)が、全国各地の様々な工場を訪問し、訪問した工場が持っている様々な技術を紹介したり、モノ作りに対する取り組み姿勢やこだわりを紹介したりする、という番組である。

この番組では、様々な手法を使ってその工場の持っている技術等を紹介しているが、必ずといっていいほど行われるのは、お笑い芸人の一人が、工場の従業員や職人が行っている作業を、試しにやってみる、ということである。

こうした取り組みを行う目的はもちろん、各工場の技術の高さをわかりやすく伝えるためである。

ではなぜ、工場での作業の様子をそのまま見せるだけではダメなのか、と言えば、それは多くの場合に、「簡単そうに作業を行っている」ように見えてしまうからである。

そのため、訪問したお笑い芸人が代わりにやってみることで、その作業が大変であることを視聴者に伝える、という取り組みが必要になるのである。

この番組を見ているとよくわかるが、熟練した従業員や職人ほど、それぞれの作業を「苦も無く」「簡単そうに」行うものなのである。

 

2.「簡単に行う」ことの意味

まだ若かった頃、私は紹介を受けて、あるIT系の中小企業の社長と会い、自分自身のプレゼンテーションも含めて、様々な話をしていた。

その会社は、ある新技術を使ったITの新製品を開発中であり、その件で私にある仕事を打診していたのである。

私は、その新技術に大変感心し、ぜひお手伝いをさせてほしい、と自分を売り込んでいた。
すると、社長は、大きな仕事を依頼する前に、試しにと言っては申し訳ないが・・・と言って、ある簡単な仕事を私に打診してきた。

その仕事の内容は、私から見ればごく簡単なものだったので、私はこう言った。

「もちろんです。でも、これはとても簡単な仕事です。こんな仕事で『試しに・・・』ということになるのですか?」

すると、その社長は、このように言ったのである。

「私は、実はあなたがこの仕事を『簡単だ』というかどうかを見ていました。その点では合格です。あなたは、我が社が開発した技術を、『素晴らしい』を言ってくれました。でも、私からすれば、これは技術的にはとても簡単なことなんですよ。それと同じです」

私は、それを聞いて「なるほど」と思い、感心した。まだ若かった私には、その社長の一言はとても良いアドバイスになった。

それ以来、私はこの社長の言った「簡単にできること」を、他人の仕事についても見るようになったのである。

 

3.熟練すると、なぜ「簡単」に見えるのか

ではなぜ、熟練すると「簡単に行う」ことができるようになるのだろうか。

この問いに対して「科学的に回答する」ために必要な知識は、私にはない。

しかし、ある一つの作業に熟練すると、効果的・効率的に行うためには、何をすればいいのか、あるいは、何をしなければならないのか、ということが瞬時にわかるようになるものだ。

また、例えば一つの図面や写真などを見ても、熟練した人には、ポイントが瞬時にわかる。

医者からレントゲン写真などを見せられて、「ほら、ここに異常がある」と指摘されることがあるが、素人の私には少しもわからない。
詰め碁や詰め将棋をプロ棋士が見れば、瞬時に正解が導かれるが、素人には難解な問題に見えることも少なくない。

いずれのケースであっても、簡単にできるようになるためには、何かに熟練することが必要であり、それなりの時間と訓練が必要になることは間違いないのである。

 

最後に

「簡単にできること」は、その人がその技術に熟練していることを示す一つの“メルクマール”になる。
それは、私が会った社長から教えられたことであった。

その社長は、私がその仕事を「簡単だ」と言えるかどうかを見ていた、と言っていた。
それは、そのためには、時間と訓練が必要である、ということをよく理解している人だから言える言葉だ。

だからこそ、「簡単そうにできる」人の仕事には、価値があるのだ。

生成AIが物事を簡単にこなすようになる時代にあっても、人間には、人間の技術を理解し、評価しようとする姿勢や気持ちが残るはずである。
私は、そう思いたい。

 

“中道”はなぜ選ばれなかったのか――変わる有権者の判断軸

はじめに

今日の投稿は、少し理屈っぽい話になる。

2026年2月8日に衆議院の総選挙が行われ、自由民主党が「圧勝」し、新しく結成された中道改革連合が「大敗」した。

実は、最初に中道改革連合が結成された時に、「中道政党」というコンセプトはなかなか良さそうだ、と思った。

今回の中道改革連合のやり方は、政治の分野の話ではあるが、ビジネスにおけるSTPマーケティングの考え方を類推すれば理解しやすい。

政治思想に関して、右派でも左派でもない、中間的な考え方を持つ層がかなりの数存在している、という想定を行い、自らを「中道政党」であると位置づけて、アピールを行う。

与党、野党の多くが、事実上の「右派」と「左派」に分かれている中で、「中道」あるいは「中道勢力」と自らを位置づけることは、有権者に対して自らの政党を「差別化」することにつながる。

しかし、残念ながら、私の予想はほぼ完全に外れてしまった。

中道改革連合の失敗は、マーケティングで言えば、「自信を持って売れると思って市場に出した商品が、ほとんど売れなかった」という事態に等しい。しかし、なぜなのだろうか。

その理由について考えてみたので、今日はその話をしてみたい。

 

1.敗北理由についての、世間一般の理解

中道改革連合の敗北の理由については、次のように言われている。

  • 党名や政策が有権者に十分に伝わらなかった
  • 合流してから選挙までの期間が短かった
  • 他党との違いを十分にアピールできなかった

つまり、STPマーケティングをベースとして行われるマーケティングミックスの4Pの中でも、特に「プロモーション(Promotion)」が十分にできなかったことが敗北の主たる理由、ということになる。

しかし、プロモーションの失敗というだけの理由では、あれほどの大敗を説明することには無理がある、と考えられる。

それよりも、「高市首相率いる自由民主党」という「強力なライバル製品」が市場には存在していた、と考える方がより自然であろう。

しかし、従来型の政党であっても、前回並の議席数を確保した政党もあったわけであり、強力なライバル製品があっても、それなりに売れた「他社製品」もあったということだ。そう考えると、中道改革連合の不振は群を抜いていたと言っていい。

つまり、プロモーションの失敗や、強力なライバル製品の存在とは別に、「不振の理由」があったと考えるべきである。

 

2.大敗の真の理由とは

プロモーションよりも、「STP」自体に問題があった、すなわち「右派でも左派でもない“中道派”」をターゲット・セグメントとしたことが間違っていた可能性がある。

では、具体的に何が間違っていたのだろうか。それは、マーケティングの用語で言えば、「ポジショニング・マップの軸の取り方の間違い」ということになる。

繰り返しになるが、中道改革連合は、「右派」と「左派」、あるいは「保守」と「リベラル」という「政治思想の軸」を想定して、その“真ん中=中道”というポジションを考えたのだと私は推定した。

さらに言えば、食品の消費税減税は打ち出したが、財源はきちんと確保する、と主張していた。こう考えると、次のような軸で考えていたのであろう。

横軸:右派(保守)-左派(リベラル)

縦軸:赤字財政を辞せず-財政悪化はもたらさない

しかしいま、多くの国民にとっては、何が右派で何が左派なのかは、きっと問題ではないのだ。保守とリベラルの区別も重要ではない。

そのため、「自分たちは“中道派”である」というポジションを取って、有権者にアピールしようとしても、十分に理解されなかったと考えられるのだ。
そしてもちろん、「合流してから選挙までの期間が短かった」ために、「党名や政策が有権者に十分に伝わらなかった」ということも、大敗の原因の一つとなった可能性も十分にある。

 

3.中道改革連合はなぜ間違えたのか(仮説)

ではなぜ、中道改革連合は、今回のような重大な間違いをしてしまったのだろうか。

私も、XやYahoo!のリアルタイム検索などを、日中に定期的にチェックするようにしているが、そこでは「右」や「左」に偏った内容の投稿が目立つ。

そういう投稿を目にして、「中道」の存在の必要性を痛感したことも十分に理解できる。

しかし、それは必ずしも有権者全体の判断軸を反映しているとは限らない、ということだ。

それに対して、私が選挙の後に目にしたのは、ある方の次のような内容の投稿だった。

「近くにいる若い人たちが、『○○(→有名な右派政党)と、□□(→同じく有名な左派政党)のどちらに投票しようか悩んでいる』と聞いて驚いた」

考えてみれば、インターネットには「投票先マッチング」というサイトがあり、どの党に投票するのかわからない場合には、こうしたサイトを使って参考にする若者も数多く存在しているという。

そこには、「右・左」や、「保守・リベラル」などの、ベースになる政治姿勢は、あまり関係が無い。

そこに存在しているのは、個別の政策への自分自身の賛否であり、さらに言えば、総合的に見て改革をしてくれそうかどうか、という政党の姿勢への共感の有無だろう。

そうであれば、細身で華奢な身体で、「働いて、働いて、働いて・・・」と訴える姿に多くの国民が期待した、ということも十分に理解できる。

つまり、有権者の関心は、政治思想などの「理念」ではなく、「実行力」や「変化への期待」へ移っており、関心の軸は、「現状維持=古い政治スタイルの継続」なのか、それとも「現状を打破(する実行力)=変化への期待」に変わっていたと考えるべきなのである。

多くの有権者の関心の二軸を考えると、次のようになるのだろう。

横軸:現状維持(古い政治スタイルの継続)-現状打破(変化への期待)

縦軸:自分たちの利益優先(消費税減税)-未来への投資(消費税減税せず)

縦軸については、1つだけ消費税減税を主張せず、未来への投資を前面に打ち出した党があり、一定の支持を得た事実は、この軸の存在を示唆している。

中道改革連合は、「自分たちは“中道”だ」というポジションを取ったのだが、「現状維持=古い政治スタイルの継続」と、「自分たちの利益優先(消費税減税)」と理解されてしまったのではないか。

 

最後に

今回、期待を込めて市場に打ち出された「中道改革連合」という“商品”は、結果として大失敗に終わってしまった。

そして、同党の主張はきっと支持を得るだろうと考えた私の予想も、大きく外れてしまった。

中道は“理念の中央”であっても、“期待の中央”ではなかった。

今回の結果は、一政党の失敗というより、有権者の判断軸が「思想や理念」から「変化への期待」へと移りつつあることを示している。

そうであるならば、「中道」という概念そのものも、再定義を迫られている。

アリを飼ってみて分かった、いくつかの“真実”

はじめに

少し前に書いた日記で、「私はアリを飼育している」と書いた。そして、アリに関する記憶について、2つほど日記を投稿した。

実際にアリを飼ってみて、これまで当たり前だと思っていたことが、実は違っていたことに気づいたことがある。
そこで今回は、アリを飼育してみるとわかる、「アリに関するいくつかの“真実”」について書いてみたい。

ただし、一口に「アリ」と言っても、世界中に約22,000種のアリがいるそうだ。それらすべてに該当するような“真実”を書くことは、到底不可能である。
そこで、日本で身近に存在しているアリたちについて述べることにしたい。

 

1.「アリとキリギリス」はウソ?

アリを飼い始めてしばらく経ったあるとき、「あれっ!」と気がついて、我ながら驚いたことがある。それは、有名な「アリとキリギリス」には重大なウソがあるかもしれない、ということである。
当時、アリ飼育の同好者がいたが、その人にこのことを話すと、その人も「そう言われればそうですね! 気がつきませんでした」と言って驚いていた。

「アリとキリギリス」では、夏の間遊びほうけていたキリギリスが、冬になって食べ物が無くなってしまい、アリに助けてもらう、ということになっている。
ところが、私が飼っている、あるいはかつて飼っていた数種類のアリの巣の中を見ても、「貯蔵された食料」というものは見当たらない。アリたちは、巣の外からエサとなるものを巣の中に運び入れるが、それを貯蔵する、ということはしない。食べ尽くしてしまうか、あるいは食べ残した場合には、その食べ残しは巣の外に捨ててしまう。
なぜ、巣の中にエサをため込まないかというと、巣の中は高温多湿の世界であり、エサとなるものにはとてもカビが生えやすいからだ。

では、アリたちは冬の間はどうしているのだろうか。実は、アリたちは巣の中でじっとしていることが多い。動かないことで、余分なエネルギーの消費をしないようにして、冬を乗り越えるのである。
もちろん、すべてのアリがこのようにするというわけではない。中には、巣の中にエサをため込むアリも存在している。例えば、クロナガアリというアリは、植物の種子をエサとしている。このアリを飼う場合、エサを与えすぎると、巣の中にためこまれた種子が発芽してしまい、大変なことになることもあるそうだ。
キリギリスは草食なので、あの物語のアリがクロナガアリのようなアリだったら、話が合う、ということかもしれないが。

 

2.アリは甘いものだけが好きなのではない

アリが甘いものが好きである、というのはよく知られた話だ。実際、甘いものにアリが群がっている姿は、公園などでもよく目にする。
しかし、先ほど書いたクロナガアリは甘いものを食べないし、他にも甘いエサを好まないアリはたくさん存在している。
さらに、甘いエサを好むタイプのアリについても、甘いものだけを食べるわけではない。実は、タンパク質のエサを、甘いもの以上に好む。
タンパク質のエサを必要とするのは、幼虫を育てるためだ。肉や煮干しなどを食べることもあるが、日本で最も一般的なアリであるクロオオアリ、クロヤマアリなどを飼育する場合には、「昆虫」をエサとして与えることがいいと言われている。
実は、昆虫、すなわち「生きた虫」をエサとして与えることが必要とされることが、アリ飼育の一つの難しさにもなっているのである。

 

3.女王アリは、実は「女王」ではない

女王アリは、英語でも “Queen Ant” といい、「女王」という位置づけになっている。
しかし、実は女王ではない、ということが、アリを飼っているとわかってくる。

一般的なアリでは、女王アリには羽が生えている。そして、ある時に「結婚飛行」と呼ばれる飛翔をして、雄アリと交尾をする。そして、地上に降りて、羽を自ら切り落とし、土の中に潜っていく。
そして、まず何匹かの働きアリを産卵し、彼らに自らの世話をしてもらうとともに、巣の規模を少しずつ大きくしていく。

この後、女王アリは、自らの子供に世話をされながら産卵を繰り返す。働きアリの寿命は約1年間と言われているのに対して、女王アリは10年以上生きることもある。
そして重要なことは、確かに女王アリは、働きアリたちにとっては「母親」だが、決して「女王」、すなわち「上司」ではない、ということである。
つまり、女王アリは働きアリから世話をしてもらうが、彼らに命令を下したりする存在ではない、ということだ。
研究者によると、「何匹の卵を産むのか」ということも、どうやら働きアリたちが決めているらしい。巣のキャパシティや、エサの確保状況などを総合的に判断して、働きアリたちが決めているのだという。
女王アリは、「女王」と言うよりも、少々言い方は悪いが、アリを産卵するためだけに存在している「機械」のような存在だと言ったほうが、スッキリするのである。

 

終わりに

アリに関する“蘊蓄(うんちく)”を語りだすと、キリがなくなってしまうので、今回はこの辺にさせていただく。
「なぜ、アリを飼育するのか」と言われると、いくつかの理由があるが、大きく分けて2つの理由がある。
一つは、女王アリ一匹、あるいは女王アリと数匹のアリから飼育をはじめ、次第に巣が大きくなっていく楽しみが味わえること。
もう一つは、自分が作った巣の中で、アリたちが“くつろいでいる”ように見える姿を見ていると、なんとなく心が安らぐ気がすることだ。
そしてさらに言えば、これまで本や物語の中で知っていた「アリ」という存在が、少しずつ別の姿に見えてくる、ということがあるのかもしれない。
身近な生き物であっても、実際に向き合ってみると、思い込みとはずいぶん違う。
そのズレに気づくこと自体が、飼育の楽しみの一つなのかもしれない。

「ルールに従う」という覚悟――落合博光氏をめぐって

はじめに

前にも日記に書いたが、私は落合博光氏のファンであると同時に、さまざまな言動を見聞きして同氏を「研究」している。
「研究」といっても、著書を読んだり、YouTubeを見たりして、自分なりに「これが落合氏だよね」という点を見つけるのが趣味、という感じである。

その結果として、私が落合氏の最大の「特質」ではないかと考えることがある。
それは、「ルールを尊重し、受け入れる」ということである。

そして、その特質の結果として、同氏は大きなメリットを得ているとともに、少し残念とも言える結末を迎えた場面もあったのではないか、と考えている。

 

1.「ルールを尊重し、受け入れる」という意味

彼がルールを尊重し、受け入れるということの意味は、例えば以下のような例に見られる。
YouTubeなどで、落合氏に対してインタビュアーがさまざまな質問をするが、その中には次のようなものが含まれている。

セリーグにDH制が導入されることになりましたが、どう思いますか?」
「ポスティング制度を利用してメジャーリーグに行く選手をどう思いますか?」

こうした質問に対して、同氏は「DH制」や「ポスティングによるメジャーリーグ移籍」といった、制度そのものに対して賛否を述べることは、まずない。
例えばDH制については、セリーグで導入された背景は何なのか、それによって野球がどのように変わるのか、あるいは自分が監督だったらどうするか、といった点を語る。
スティング制度についても、「それは自分たちが獲得した権利だとは思わないでほしい」などと主張することはあるが、やはり制度そのものへの賛否は述べていない。

つまり同氏は、ルールが決定される過程にはそれなりの検討や配慮があるのだから、決定したルールについては尊重し、批判などはしない、という姿勢を一貫して取っているのである。
自身の契約交渉においても、その交渉過程では簡単には妥協しないが、いったん決まった契約については尊重し、従う、という姿勢なのである。

 

2.ルールを守ることで、自身を有利にする

落合氏の「ルールを尊重する」という姿勢は、彼のバッティングにもプラスに働いた。
ある元審判は、次のように語っている。

落合氏に対して、ピッチャーが投げたボールが際どいコースに決まることがある。
それに対して「ストライク」とコールしても、落合氏は決して抗議をすることがなかったという。
それは、ストライク・ボールの判定については審判に決定権があり、抗議しても覆らないことを、彼自身がよく理解していたからだ。

しかし、ただ一言、こう言う。
「ふーん。今日はそこまで(ストライクと)取るのだな」

そして、その日はそれ以降、同じコースにピッチャーが投げると、すべて打ちに行き、ファールにしたそうだ。
こうしたことが続くと、何が起きるのか。
審判たちは、落合氏に関しては、際どいコースを「ストライク」と取ることがなくなったという。

もちろん、落合氏が卓越した選球眼と、ファールにする技術を持っていたことが重要なポイントではある。
しかし彼は、「抗議をしない」という姿勢を貫くことで、自分自身を有利な立場へと導いた、と言うこともできるだろう。

 

3.ルールを尊重しすぎたことが、マイナスに見えたとき

「ルールを尊重し、受け入れる」という姿勢は、落合氏の場合、選手・監督時代を通じて信念のようなものであったと考えられる。
監督になってからも、彼は「契約書にそう書かれているから」としてチームの勝利だけに徹し、「グラウンドの外」のことには関わろうとしなかった。
その結果、「嫌われた監督」と言われるようになったが、その理由の一つとして、こうした姿勢があった可能性は否定できない。この点については、以前の日記にも書いた。

そしてさらに、私が落合氏に対して「ルールを超えて対応すべきだったかもしれない」と感じた出来事が一つだけある。
それは、落合氏が監督を退任し、チームのGM(ゼネラル・マネージャー)となった時代の、谷繁氏の監督採用と解任の件である。

落合氏によれば、谷繁選手の監督就任をチームのオーナーが検討していた際、選手兼任となることを踏まえ、「4年契約が必要だと思います」と進言し、実際に4年契約の監督としたという。
ところが、監督就任後も成績不振が続き、3年目も状況が好転しなかったため、オーナーが「シーズン途中で解任する」と言い出す事態となった。

落合氏は「契約があるのだから、4年間やらせるべきです」と主張したが、結局オーナーは譲らず、球団社長らを通じて谷繁監督はシーズン途中で解任されてしまった。
この件について落合氏は、「自分には選任・解任の権限はなかった」と説明している。

詳細は不明だが、4年契約であっても、中途解任が可能な条項が契約書に含まれていたのだろう。
そうであれば、落合氏としては、やはり「ルールを尊重した」ということになる。

しかし、4年契約として公表されていた以上、「なぜ任期の途中で突然解任されるのか」と世間が疑問に思ったのも不思議ではない。
実際、谷繁氏の解任問題は、落合氏が強権を振るったかのように受け止められてしまった。

私には詳しい事情はわからない。
ただ、契約期間が残っている谷繁監督を守り抜く姿勢を示し、それでもオーナーが解任を強行するのであれば、自身もGMを退任する――
そうした行動を取っていれば、世間の誤解を防ぎ、落合氏の評価はさらに高まったのではないか、と一ファンとして思ってしまう。

もっとも、監督時代の姿勢と同様に、ルールを超えて行動するということ自体が、落合氏には難しかったのだろう。
そう考えると、この一件もまた、やはり落合氏らしい行動だったと、再評価すべきなのかもしれない。

 

最後に

プロ野球界で生き抜くことが容易ではないことは、十分に理解できる。
その中で、落合氏はルールを遵守する姿勢を徹底し、それが彼にとってプラスにもマイナスにも働いてきたのだと思われる。
やはり、落合氏には「清濁併せ呑む」といった考え方や姿勢は似合わない。
愚直にルールを尊重し続ける――それが、落合氏の魅力の一つなのであろう。

「見る句」「見る歌」のままでいる私の話

はじめに

数年前のことになるが、台東区根岸にある子規庵を訪ねたことがある。
子規庵は、太平洋戦争で焼失した、かつての正岡子規の旧居を戦後に再建したものである。

内部を興味深く見学していた私に対して、庵の管理をされていると思われる方から、「俳句を詠まれるのですか?」と話しかけられた。

私は、「いいえ。私は俳句はやらないですね。」と答えた。

するとその方から、「そうですか。それは残念ですね。ぜひ一度、俳句に取り組んでみてください。」と言われた。

私は、「そうですね。そのうち取り組んでみたいと思います。ありがとうございます。」と答え、その場を後にした。

 

1.なぜ、私は俳句を詠まないのか

子規庵では、「私は俳句はやらない」と答えたが、実はその数年前から、テレビで俳句番組を見るようになり、俳句にはかなり興味を持っていた。子規庵を訪ねてみたのも、そのためだった。

さらにここ数年は、俳句だけでなく、NHKの短歌番組も録画をして、毎週見るようになった。

しかしそれでも、私は俳句だけでなく、短歌も詠まない。世間では、将棋を指さずに対局を見るだけの人を「見る将」と言うそうだが、私はさしずめ「見る句」「見る歌」ということになるだろうか。

私が俳句や短歌を詠まない理由は、大きく分けて3つある。

第一に、私はかなり“理屈っぽい”タイプの人間である、ということだ。「・・・の理由は3つある。第一は…」などと、考え方を整理して、論理的に述べるのを好む。言い換えれば、俳句や短歌のような感覚的・感情的な世界は、あまり得意ではない。

そもそも俳句に興味を持ったきっかけも、俳人・夏井いつきさんの、俳句に関する“ロジカルな説明”に感心したからだった。
おかげで、どんな俳句が良いのか、ということは理屈としてはかなり分かるようになった。
しかしそれでも、自分で俳句を詠む自信はない。

第二の理由としては、NHKの俳句・短歌番組で紹介される入選作を見ていて、「自分にはとてもこんな素敵な作品は作れない」と感じてしまうからである。
俳句や短歌は毎週何千句、何千首と投稿されるそうだが、その中の上位に入る句や歌は、さすがに素晴らしいものが多い。私は毎回、「こんな感性を持った人たちには、とても敵わないなあ」と思ってしまう。

そして最後の理由は、第二の理由とも関係しているが、小学生のころの記憶に由来している。

 

2.小学生のころの“詩”に関する記憶

私が小学二年生のときの担任の先生は、生徒に作文や詩を書かせ、それを文集にする授業をよく行っていた。
そのおかげで、私の作文力はかなり伸びたと思っており、今でも恩師だと感じている。

ある日の授業で、その先生は生徒に詩を書かせ、それを文集にして全員に配布した。私はその中のある一編の詩に目を奪われた。
それは、同級生の男の子が書いた詩であった。小学二年生の作品なので、内容は幼いものだったはずだが、当時の私にはとても素敵な詩に見えた。

そのとき私は、
「自分にはこんな詩は書けない。でも、こんな詩を書いてみたい」
と強く思った。

その後、また詩を書く授業があり、私はかなり露骨に、その友人の詩を真似た作品を書いてしまった。
すると母にすぐ見抜かれ、こう叱られた。

「これ、〇〇君の詩を真似したでしょ。そんなことをしてはいけません。」

その詩を書いた友人は、少し変わったタイプの子どもだった。
今思えば、学習障害とか、多動性障害のような子どもだったのかもしれない。
いずれにしても、当時から「常識的な思考」のタイプだった私には、とても真似ができない感性・感覚の持ち主だったように思う。
そして、この時のショックは、何となくだが今でも残っていて、私に俳句や短歌に取り組むことを躊躇させているのだと思う。

 

最後に

ここまで、私が詩歌に取り組まない理由について、あれこれと書いてきた。
とはいえ、もし何かを書くとしたら、俳句よりも、もう少し自由度の高い短歌のほうが合っているのかもしれない、とも思っている。

ただ、ここまで理屈っぽく考えてしまう自分が、そんな自由な世界に踏み出せるのかどうかは、正直なところ分からない。
だから今は、相変わらず「見る句」「見る歌」のままで、もうしばらく様子を見ていようと思っている。

私が生涯でもっとも美味しいと感じたもの――長野県のある村での体験

はじめに

先日、NHKのある番組で、ゲストの専門家が、その番組のMCに対して「これまでで一番美味しいと感じたものは何ですか?」と質問している場面に出くわした。
そのMCは、しばし戸惑いながらも答えていたが、私自身も不意を打たれたような気がした。

今まで、そんなことを問われたことはなく、したがって考えてみたこともなかった。
改めて考えてみると、なかなか難しい。

そうして考えているうちに、私は自分の記憶の奥にあった、ある「味」を思い出した。
今回は、その味について話してみたい。

 

1.長野県のある村での一夏の思い出

私は東京都内で生まれ育った、いわゆる“都会っ子”であった。

そんな私は、中学一年生の夏休みに、祖母に連れられて、祖母の遠縁にあたる長野県の農家に、半月ほどホームステイをさせてもらった。
祖母と私、二歳年下の弟、さらに私と同い年の女のいとこの四人での訪問だった。

「ホームステイ」と言ったのは、単なる遊びではなかったからである。
訪問した翌日から、トウモロコシやジャガイモの収穫など、さまざまな「盛夏の農作業」を手伝わせてもらった。

「都会のもやしっ子」だった私には、農作業はなかなか大変だった。
長野県の農村にあったその農家の畑は、どれも私にはとても広大に見えた。

トウモロコシの収穫では、私の背丈以上もあるトウモロコシに埋もれそうになりながら、一生懸命に作業をし、夕方にはヘトヘトになっていた。
まだ地球温暖化の影響も少なく、暑いといっても今ほどではなかったが、それでも一日働けば十分に疲れた。

それでも私は、長野の農家での日々を、精一杯の「労働」をしながら、どこか楽しんでいたのだと思う。
後日、その農家の方から祖母に「あの子たちはとてもよく働いてくれた」とお褒めの言葉をいただいたそうである。

 

2.豪快だった農家の人たち

この農家での日々が楽しかったのは、農作業そのものだけが理由ではなかった。
昭和の時代の農村の人々は、いろいろな意味で“ワイルド”だった。それがとても刺激的だったのである。

ある日、ジャガイモの収穫作業をしていると、ちょうど昼時になった。
しかし、手は土で真っ黒、昼飯を食べるにも洗う場所がない。

すると、ホームステイ先の農家のご長男(すでに成人していた)が、隣の畑に入っていき、スイカを一つ“勝手に”取ってきた。
そして、それを素手でパンチして見事に割り、こう言った。

「これで、手を洗え!」

私は、生まれて初めてスイカの果汁で手を洗った。
もちろん、後にも先にもこの一度きりである。

「勝手に取ってきたスイカを、大人が素手で割り、それで手を洗う」――
そんな何とも言えない、少し背徳的で、どこか豪快な体験は、今でも忘れられない思い出として残っている。

 

3.美味しかったある野菜

ある日、今度はその農家が育てていたトマト畑で、農薬を散布する作業を手伝うことになった。

そのトマトはトマトジュース用で、地面に這わせるように栽培されていた。
私は、そのトマトに農薬を散布する作業を手伝った。

かなり豪快に農薬がまかれていて、子ども心に
「こんなに薬をかけて大丈夫なんだろうか」
と思った記憶がある。

その隣の畑では、別の農家が食卓用のトマトを育てていた。
支柱が立てられ、トマトは一本ずつ丁寧に育てられていた。

すると、またあの長男が、その畑からトマトを一つ取ってきて、私に渡した。

「これ、食ってみろ」

露地栽培で真っ赤に熟したトマトを食べるのは、これが初めてだった。
そのトマトの美味しさといったら、今でもはっきりと思い出せるほどだ。

そう、このとき食べたトマトこそが、私にとって「これまでで一番美味しいと感じたもの」なのである。

「隣の畑から取ってきたトマトを食べる」という、わずかな罪悪感と、
長野の農村で一日働いたあとの心地よい疲労感。
そのすべてが重なって、あのトマトの味を特別なものにしたのだと思う。

 

終わりに

先ほどのNHKの番組で、専門家はこう言っていた。

「おいしさは記憶に結びつくものが多い。必ずしも、丁寧に作られたプロの料理が一番おいしいとは限らない」

まさにその通りだと思う。
私にとって人生でもっとも美味しかったものは、高級料理でも名店の一皿でもなく、長野の農村で食べた、たった一個のトマトだった。

その農家を訪れたのは、結局あの一度きりだった。
けれども、そのときの空気や匂い、疲労感や高揚感は、今もはっきりと残っている。

思い返せば、あの夏の体験は、少年時代の記憶の中でも、とりわけ大切な一頁なのだと思う。