私が生涯でもっとも美味しいと感じたもの――長野県のある村での体験
はじめに
先日、NHKのある番組で、ゲストの専門家が、その番組のMCに対して「これまでで一番美味しいと感じたものは何ですか?」と質問している場面に出くわした。
そのMCは、しばし戸惑いながらも答えていたが、私自身も不意を打たれたような気がした。
今まで、そんなことを問われたことはなく、したがって考えてみたこともなかった。
改めて考えてみると、なかなか難しい。
そうして考えているうちに、私は自分の記憶の奥にあった、ある「味」を思い出した。
今回は、その味について話してみたい。
1.長野県のある村での一夏の思い出
私は東京都内で生まれ育った、いわゆる“都会っ子”であった。
そんな私は、中学一年生の夏休みに、祖母に連れられて、祖母の遠縁にあたる長野県の農家に、半月ほどホームステイをさせてもらった。
祖母と私、二歳年下の弟、さらに私と同い年の女のいとこの四人での訪問だった。
「ホームステイ」と言ったのは、単なる遊びではなかったからである。
訪問した翌日から、トウモロコシやジャガイモの収穫など、さまざまな「盛夏の農作業」を手伝わせてもらった。
「都会のもやしっ子」だった私には、農作業はなかなか大変だった。
長野県の農村にあったその農家の畑は、どれも私にはとても広大に見えた。
トウモロコシの収穫では、私の背丈以上もあるトウモロコシに埋もれそうになりながら、一生懸命に作業をし、夕方にはヘトヘトになっていた。
まだ地球温暖化の影響も少なく、暑いといっても今ほどではなかったが、それでも一日働けば十分に疲れた。
それでも私は、長野の農家での日々を、精一杯の「労働」をしながら、どこか楽しんでいたのだと思う。
後日、その農家の方から祖母に「あの子たちはとてもよく働いてくれた」とお褒めの言葉をいただいたそうである。
2.豪快だった農家の人たち
この農家での日々が楽しかったのは、農作業そのものだけが理由ではなかった。
昭和の時代の農村の人々は、いろいろな意味で“ワイルド”だった。それがとても刺激的だったのである。
ある日、ジャガイモの収穫作業をしていると、ちょうど昼時になった。
しかし、手は土で真っ黒、昼飯を食べるにも洗う場所がない。
すると、ホームステイ先の農家のご長男(すでに成人していた)が、隣の畑に入っていき、スイカを一つ“勝手に”取ってきた。
そして、それを素手でパンチして見事に割り、こう言った。
「これで、手を洗え!」
私は、生まれて初めてスイカの果汁で手を洗った。
もちろん、後にも先にもこの一度きりである。
「勝手に取ってきたスイカを、大人が素手で割り、それで手を洗う」――
そんな何とも言えない、少し背徳的で、どこか豪快な体験は、今でも忘れられない思い出として残っている。
3.美味しかったある野菜
ある日、今度はその農家が育てていたトマト畑で、農薬を散布する作業を手伝うことになった。
そのトマトはトマトジュース用で、地面に這わせるように栽培されていた。
私は、そのトマトに農薬を散布する作業を手伝った。
かなり豪快に農薬がまかれていて、子ども心に
「こんなに薬をかけて大丈夫なんだろうか」
と思った記憶がある。
その隣の畑では、別の農家が食卓用のトマトを育てていた。
支柱が立てられ、トマトは一本ずつ丁寧に育てられていた。
すると、またあの長男が、その畑からトマトを一つ取ってきて、私に渡した。
「これ、食ってみろ」
露地栽培で真っ赤に熟したトマトを食べるのは、これが初めてだった。
そのトマトの美味しさといったら、今でもはっきりと思い出せるほどだ。
そう、このとき食べたトマトこそが、私にとって「これまでで一番美味しいと感じたもの」なのである。
「隣の畑から取ってきたトマトを食べる」という、わずかな罪悪感と、
長野の農村で一日働いたあとの心地よい疲労感。
そのすべてが重なって、あのトマトの味を特別なものにしたのだと思う。
終わりに
先ほどのNHKの番組で、専門家はこう言っていた。
「おいしさは記憶に結びつくものが多い。必ずしも、丁寧に作られたプロの料理が一番おいしいとは限らない」
まさにその通りだと思う。
私にとって人生でもっとも美味しかったものは、高級料理でも名店の一皿でもなく、長野の農村で食べた、たった一個のトマトだった。
その農家を訪れたのは、結局あの一度きりだった。
けれども、そのときの空気や匂い、疲労感や高揚感は、今もはっきりと残っている。
思い返せば、あの夏の体験は、少年時代の記憶の中でも、とりわけ大切な一頁なのだと思う。