勝つことだけでは足りなかったのか――落合博満という監督
はじめに
私は昭和生まれの人間、ということもあって、昔からプロ野球が好きである。
最近も、プロ野球に関する新書をいくつか買って読んでみたし、時々視聴するYouTubeでは、プロ野球は好きなジャンルの中の一つになっている。
プロ野球選手の中でも、落合博光氏の著書や、YouTubeチャンネルには注目している。同氏は、名選手だっただけでなく、中日ドラゴンズで8年間監督を務めた名監督でもあり、同氏の話の内容には、傾聴すべき、と思える内容が多い。
落合氏と言えば、三冠王を3回達成したことで知られる強打者だった。しかし、中日ドラゴンズの監督を任されることになった時、「守りを中心としたチーム作りをする」と公言し、その通りに実行した。
その結果として、同氏が選手に猛練習をさせたことは有名である。
その中から、のちに「アライバ・コンビ」と呼ばれるようになった、荒木選手や井端選手、さらにサードの森野選手などの中心選手が出てきたことは、プロ野球ファンならばよく知る事実である。
落合氏の論理は明快である。
「上手になりたければ、練習するしかない。上手にならなければ、試合に出られなくなるから、プロ野球で生き残ることはできない。」
「優勝するためには、長いシーズンを戦い抜く体力が必要である。そのためのトレーニングや練習が必要である。」
そして、上記に関連して、同氏のYouTubeチャンネルである「オレ流チャンネル」で以下のようなやり取りがあった。
インタビュアー:落合さんは、コーチをやろうと思ったことは無いのですか?
落合氏:ない。
インタビュアー:それは、どうしてですか?
落合氏:練習させすぎてしまうから。監督ならば、監督の権限で練習させることはできるけど、コーチだとその権限が無いでしょ。だからだ。
コーチには、選手にどれくらい練習させるか、ということを決める権限が無い。だから、コーチはやらない、というのは、いかにも落合氏らしい。
監督としての落合氏の論理は一貫している。自分はチームが勝つために監督を引き受けた。だから、落合氏は、「チームが勝つために、すべて行う」というロジックを透徹させる。そして、同氏のその一貫したロジックと手法は、監督就任1年目で早くも成果を出し、中日ドラゴンズは2004年にリーグ優勝を果たした。
その後、2011年までの8年間、落合氏は監督を務めたが、その間に4回のリーグ優勝を果たし、優勝できなかった年も、「Aクラス」と呼ばれる3位以上を全て達成している。
しかし、これだけの実績を残しながら、落合氏は球団側との折り合いが必ずしも良くなかった、と言われている。そのため、「嫌われた監督」という本まで出されており、ベストセラーにもなった。
私は、すでに述べたように、基本的には落合氏のファンであるし、彼の野球に対する考え方、取り組み方は、たいへん素晴らしいと思う。
さらに、監督としての取組み姿勢についても、チームの成績を向上させる、という観点からは、基本的には正しいと考える。
だがその一方で、「チームの成績を良くし、優勝させることが、監督としての唯一の仕事だ」とする彼の考え方は、やはり正しいとは言えなかった、ということなのであろう。
落合氏が直面した課題は、企業経営に似ているところがあると、私は思う。企業の社長は、その企業の業績を良くすることが最大のミッションであるが、それだけではいけない、とよく言われる。
ステークホルダーと呼ばれる、利害関係人との良好な関係を築くことも、企業としての重要なミッションである、ということは、もはや常識化している。
落合氏は、人気のあるプロ野球球団の監督としては、ただ単に勝つことだけでなく、その他にもすべきことがあった、ということなのであろう。
具体的には、マスコミと上手に付き合い、もっとファンサービスをする、ということである。「それをしないのが落合博満の本質だ!」という方も多いかもしれないが、プロ野球という興行の構造上、そうせざるを得なかったのではないか、と思われる。
人間には得手・不得手というものがある。落合氏のYouTubeでの言動を見ていると、そうしたことがあまり得意ではなかったのだろう、ということは容易に想像がつく。
そうなると、もう少し球団が同氏の対外的な発信などをサポートしてあげたら良かったのでは、と思えてならない。
最後に
落合氏の野球に対する取り組み方、組織の作り方などは、すでに多くの企業人などから高く評価されており、同氏の上司やマスコミに媚びない姿勢も多くの支持を集めている。
同氏が、監督として大きな成果を上げつつも、その後監督としての声が掛からないことは、日本球界にとってマイナスではないかと思うが、それもまた落合氏らしい、ということなのかもしれない、と思う。
落合氏のやり方が正しかったのかどうか、その答えは今もはっきりしない。
ただ、ここまで一貫して自分のやり方を貫いた人物がいた、という事実そのものが、今のプロ野球では少し貴重になってきているのかもしれない。
そう思うと、落合博満という存在は、いま改めて振り返られるべき人物なのではないだろうか。
アリと紙飛行機と、変えられてしまった結末の話
はじめに
私は現在アリを飼育している。そして、子どもの頃に死なせてしまった一匹のアリに関する記憶について、少し前の日記に書いた。
しかし、私にはアリに関連する記憶が他にもある。今回は、もう一つの思い出について書いてみたい。
私がまだ小学校低学年のころだったと思うが、オリジナルの物語を二つ書いたことがある。
すると、それを読んだ父が喜び、知り合いに頼んで二冊の絵本にしてくれた。
一作の内容はほとんど覚えていないが、もう一作については、その後の経緯もあってよく覚えている。その物語にはアリが登場する。というより、アリが主人公なのである。
1.私のオリジナル・ストーリーの内容
私が書いた話は、以下のようなものである。ストーリーの概要は子どもの頃に書いたままだが、現在の私が少しだけ脚色していることを、あらかじめお断りしておきたい。
あるところに、一匹のアリがいた。
そのアリに対して、近くを通りかかったハチが、空を飛べないことをからかって、次のように言った。
「空を飛べないアリさん! 空を飛んでみたいだろう。残念だねぇ……」
アリは悔しがって、ハチに向かって言い返す。
「でも、君は地面に穴を掘ってもぐれないだろう!」
しかし本音では、空を飛べないことが悔しくてならなかった。
「ああ、悔しい! 一度でいいから空を飛んでみたいなぁ」
するとそこに、どこかの子どもが飛ばして忘れてしまったのであろう「紙飛行機」が現れる。
紙飛行機は、悔しがっているアリに話しかけた。
「どうだい、僕と一緒に空を飛んでみないか?」
アリは喜んで答える。
「本当? ぜひ飛んでみたい。どうすればいいの?」
すると紙飛行機は、「僕の上に乗って」と言い、アリを自分の上に乗せる。
ちょうどそのとき風が吹き、紙飛行機はアリを乗せたまま空へと舞い上がった。
紙飛行機は、さきほどアリをからかったハチのそばを通りかかる。
アリはハチに向かって叫ぶ。
「ハチさん、どうだい! 僕は飛んでいるんだよ!」
ハチはびっくりする。
こうして紙飛行機は、毎日のようにアリを乗せてあちこちを飛び回った。
アリは得意げに、チョウやトンボといった“飛ぶ昆虫”たちに話しかける。
みんな、「アリが空を飛べるなんて!」と驚いていた。
アリはすっかり得意になり、毎日紙飛行機と一緒に空を飛び回った。
ところが――。
ある日、雨が降ってきたのである。
紙飛行機は雨に濡れてふやけ、やがて飛べなくなってしまった。
そして、ほどなくして姿を消してしまった。
今ではもう、アリが紙飛行機と空を飛び回ったことを知る者はいないのである。
2.ストーリーに関する後日談
私が子どものころに書いたこのオリジナル・ストーリーを、どう思われただろうか。
子どもにしてはよくできているようにも思えるし、所詮は子どもの考えた話にすぎない、と言われればその通りかもしれない。
そして実は、この話には後日談がある。
それから一年ほど経ったころだったと思う。父が私にこう言った。
「お前の書いたアリと紙飛行機の話をもとに、絵本のコンクールに応募することにした」
私は驚いたが、とても嬉しくもあった。
ところが、応募用に仕上げられた絵本を見たとき、私は大きなショックを受けた。
なぜなら、エンディングが私の書いたものとは変えられていたからである。
細かい表現は覚えていないが、父は「そこには秋風が吹いていました」といったような、少し情緒的な終わり方に書き換えていた。
今になって冷静に考えれば、もともとアリが紙飛行機に乗って空を飛んだことを誰も見ていないのだから、「今ではもう誰も知らない」という結末は、少し説明的すぎたのかもしれない。
父が大人の目で見て、手直ししたほうがよいと考えたことも理解できる。
それでも当時の私は、その結末がとても気に入っていた。
自分なりに考え抜いた、いちばんふさわしい終わり方だと思っていたのである。
そのため、自分の話が「ねじ曲げられた」ように感じ、とても不愉快だった。
さらに、その絵本がコンクールで落選してしまったことで、私はいっそう傷ついた。
3.著作権人格権の大切さ
父が私の物語の結末を書き換えたのは、「よりよくしよう」と思ってのことだったのは間違いない。
その点について、今の私に異論はない。
ただ、子どもだった当時の私は、自分の物語が自分の知らないところで変えられてしまったことを、どうしても受け入れられなかった。
そのとき初めて、「自分の書いたものには、自分なりの意味があるのだ」という感覚を持った気がする。
後になって、それが「著作権人格権」という言葉で説明できるものだと知った。
だが当時の私は、ただ「勝手に変えないでほしかった」と感じていただけだった。
それ以来、誰かの書いたものや作ったものに手を加えるときには、できるだけ慎重でありたいと思うようになった。
あのときの小さな違和感は、今も自分の中に確かに残っている。
終わりに
いま振り返ると、あのとき私が感じた違和感は、決して大げさなものではなかったのだと思う。
たとえ子どもが書いた拙い物語であっても、それはその人なりに考え、選び取った結末だった。
それを他人の手で変えられたときに生まれる戸惑いは、きっと誰にでも起こりうるものなのだろう。
あの出来事があったからこそ、私は「書くこと」や「つくること」に対して、どこか慎重で、同時に大切に思うようになったのかもしれない。
そう考えると、あのときのアリと紙飛行機の話は、今の自分につながる最初の一編だったのだと思えてくるのである。
なぜ私は、アリを飼っているのか――一匹のアリが私に残したもの
はじめに
私は、数年前からアリを飼育している。
ご存じのように、アリは集団で協力して生活をする昆虫である。働きアリたちが、エサを集めてきたり、子育てをしたりする様子が観察できて、たいへん面白い。
巣の中で、アリたちがくつろいでいる様子を見ているのは悪くない。
他の昆虫たちよりも、「生活を観察することができる」という点で、少し特別な存在だと思っている。
私がアリを飼育していることについて、「なんでアリを飼っているのですか?」と聞かれることは、実はあまり多くない。虫が嫌いな人が増え、虫を飼うという行為そのものに、違和感を持つ人が多くなったからかもしれない。
私がアリを飼うようになったきっかけは、テレビ番組で、アリ飼育用の巣を販売している人の話を見たことだった。「私も飼ってみたい」と思ったのが直接の理由だが、実はそのとき、もっと昔の記憶がふと蘇ったのである。
前々回の日記で、アゲハチョウの幼虫を飼っていた話を書いた。
だが、私が子どもの頃に飼っていたのは、アゲハチョウだけではなかった。
カブトムシ、クワガタ、カナブン。
水生昆虫では、ミズカマキリやゲンゴロウも飼っていた。
アリについていえば、「アリの巣観察セット」というものを手に入れた。両親に買ってもらったのか、あるいは学習雑誌の付録だったのかは、はっきり覚えていない。
縦長の箱で、四方が透明なプラスチックになっており、中に白い砂を入れて、そこにアリを入れると巣作りの様子が観察できる、というものだった。
私はそこに、近所で捕まえてきたアリを何匹か入れてみた。
ところが、しばらく見ていても、目に見える変化はほとんどなかった。
巣を掘る様子は見えず、飼育セットの中でただ動きまわるだけである。
「こんなものなのか」と思い、次第に興味を失ってしまった私は、やがてその飼育セットをほとんど見なくなってしまった。
それからしばらく経ったある日、母にこう言われた。
「アリの飼育セット、ちょっと見てごらんなさい」
すっかり忘れていた私は、言われるままにセットを覗き込んだ。
するとそこには、思いのほか立派な巣ができていたのである。
そして、その巣の中で、一匹のアリが死んでいた。
最初のうちは、アリを何匹か入れていたが、最後になって一匹だけ入れて、私はそのままにしてしまったようだ。そしてその一匹だけが、私の知らないところで、少しずつ巣を掘り続けていたらしい。
しかし、エサも水も十分に与えられないまま、力尽きてしまったのだろう。
私は、その光景を見て、強い申し訳なさを感じた。
自分がきちんと世話をしなかったから、このアリは死んでしまったのだ、と。
同時に、子ども心に、こんなことも思った。
――よく一匹で、ここまでの巣を作ったな。
その巣は、今思い返しても、なかなか見事なものだった。
そのときの光景と、胸に残った後ろめたさは、何十年たった今でも、なぜかはっきりと覚えている。
そして私は、数十年後になって、再びアリを飼い始めた。
おそらくあのときの記憶と、一匹のアリに対する申し訳なさが、どこかでずっと残っていたのだと思う。
終わりに
今回は、なぜ私がアリを飼うようになったのか、という話を書いてみた。
実のところ、アリにまつわる思い出は、まだいくつも残っている。
それらについては、これから少しずつ書いてみたいと思っている。
夏みかんの木と、いなくなったものたち
はじめに
私の実家は、東京23区内にあり、小さな裏庭を持っている。そこには、かなり大きな夏みかんの木が1本あり、年によって数は違うが、毎年実がなる。
今年は、あまり多くはなかったが、それでも10数個の実がなり、そのうち4つほどを分けてもらって、妻がその実を使ってオレンジ・マーマレードを作った。さっそく、朝食時にパンに付けて、おいしくいただいている。
1.裏庭に夏みかんの木が生えている理由とは
実家で母と夏みかんについて話をしている時、私が、なぜ裏庭に夏みかんの木が生えているのか、と母に尋ねた。すると、母が次のように言った。
「あら、あれはあなたのために私が植えたのよ。」
私が不思議に思って、「どういうこと?」と問い返すと、母は次のように答えた。
「あなたが子どものころ、アゲハチョウの幼虫を育てていたでしょう?その時、幼虫のエサにするために、夏ミカンの葉っぱがたくさん必要になったのよ。」
「はじめは、夏ミカンの木を持っているご近所に、その都度もらいに行っていたの。」
「でもだんだん面倒になってきたので、私が夏みかんの枝をもらってきて、裏庭に植えたの。あの木はその時の「枝」が大きくなったものなのよ。」
そういえば、私は子どもの頃、アゲハチョウの幼虫を、確かにたくさん育てていた。幼虫たちはたいへんな大食家で、エサのミカンの枝は、たちまち食べつくされてしまっていた。
そのことはよく覚えていたが、母が幼虫のエサのために、ご近所まで夏ミカンの枝をもらいに行っていたことや、裏庭に夏ミカンの枝を植えたことは、すっかり忘れてしまっていた。
私が子どもの頃は、まだ昭和の時代だったが、アゲハチョウがけっこうたくさん飛んでいて、近所で彼ら・彼女らの幼虫がたくさんとれた。昆虫が大好きだった私は、その幼虫を取ってきては、育てていたのだ。
アゲハチョウの幼虫は、頭をすこし手で触ったりするなどして刺激を与えると、敵などを威嚇して追い払うために、黄色い角のような突起物を出し、そこから独特の「臭いにおい」を出す。その匂いは決して愉快なものではないのだが、時々彼らを怒らせては、「臭い臭い!」などと言って遊んでいたものだ。
幼虫たちは、やがて蛹になり、そして羽化をして美しい蝶になった。それを見るのが楽しくて、幼虫を育てていたのだが、やがて興味が薄れてしまい、幼虫の飼育をやめてしまった。
実家の裏庭に植えられた夏みかんの木は、葉っぱを提供する、という役目を終えた後も、成長を続けた。そして、数十年後になって、立派な実をたくさんつけるようになった、ということなのである。
2.夏みかんの話を聞いて思い出したスイス・ジュネーブのこと
母から実家の夏みかんの木にまつわる話を聞いた後、私はなぜか、かつての海外旅行で訪れたスイスのジュネーブのことを思い出した。
当時はまだ20世紀で、季節は初夏だった。ジュネーブの街は美しかったが、私は特に強く印象を受けたのは、多くの家々の門や塀に、多くの美しい花が飾られていたことだった。
ジュネーブの街は、単に美しいだけでなく、それぞれの家が思い思いに飾っている花々が、その美しさに、文字通り「花を添えて」いたのである。
この当時、私は東京都内に住んでいたが、まだ東京都では個人の家庭が、自分たちの家の門や塀などに、花を飾っていることは少なかった。そのため、私はスイスの人たちは気持ちにゆとりがあり、成熟しているなぁ、という印象を受けた。
「日本とは違うなぁ。日本もやがてこうなれるのかなぁ。。。」
そんな風に思ったものである。
3.日本でも、花を飾る家は増えた。しかし・・・
その後、21世紀に入ってからだと思うが、日本でも自宅の門や軒先などに花を飾る家が急速に増えてきた。
今は冬の真っただ中だが、春になると、多くの家の前には、美しい花が飾られたり、小さな藤棚が作られたり、あるいは梅や桜の花さえも個人宅で見られるようになってきた。
それは、日本人も心が豊かになり、成熟してきたためではないか、と私は感じている。
しかし、春になって23区内がいろいろな花で彩られるようになった一方で、めっきり少なくなったものがある。それは、チョウやハチなどの昆虫の姿である。
私が子どもの頃は、23区内にも、まだたくさんの昆虫がいた。私はアゲハチョウの幼虫だけでなく、カマキリの卵を取ってきて、それを自宅で孵化させたり(カマキリがたくさん出てきてたいへんでしたが)、ミツバチをからかって刺されたりすることも、しょっちゅうであった。
しかし、街中でアゲハチョウを見たり、ハチが飛んでいたりする姿を見る機会は、大きく減少したように思う。
23区の街中に、美しい花がたくさん飾られている一方で、それを求めて飛び交う昆虫がほとんどいない。
実家には、大きな夏みかんの木があり、その脇には小さいが美味しい実をつける金柑の木も生えている。そうした木には、アゲハチョウは卵を産み付けて、葉っぱを食べてしまう可能性があるはずなのだが、チョウが見当たらないので、その心配はほとんどないと言っていい。
私は、複雑な思いで、実家の裏庭に立って、それらの木を眺めるのであった。
大相撲のことを、もう少しだけ真面目に考えてみた
はじめに
前回、大相撲の審判制度について少し書いたが、書き終えたあとも大相撲についてあれこれ考えてみた。
あらためて考えてみると、長年の相撲ファンとして、いろいろと思うところがある。
私はときどき、周囲の人と大相撲の話をすることがある。
ただ、そのたびに感じるのは、「思ったほど関心を持っている人が多くないな」ということだ。
現在の大相撲は、全体として見れば人気があり、国技館だけでなく、大阪・名古屋・福岡の本場所もチケットが取りづらいと言われている。
しかし、私の実感としては、その人気を支えているのは比較的年齢の高い層で、若い人たちの関心はそれほど高くないのではないか、という気がしてならない。
実際、笹川スポーツ財団(SSF)の「スポーツライフに関する調査」(2018年)を見ると、「種目別直接スポーツ観戦率」で大相撲が上位に入るのは50代以上のみで、40代以下では上位に入っていない。
さらに、新弟子の数も大きく減っている。
1992年には160人いた新弟子が、近年では30~40人程度にまで減少しているという。
この数字を見ると、若者の関心の低下が影響していると考えても不自然ではないだろう。
こうした状況を踏まえると、今後の大相撲にとって重要なのは、若い世代にどう関心を持ってもらうか、という点ではないかと思う。
では、どうすればいいのだろうか。
以下は、あくまで一人の相撲ファンとして考えた私なりの案である。
1.大相撲の開催時間を見直してはどうか
まず思うのは、開催時間の問題である。
現在、大相撲の取組は夕方6時ごろに終わる。
しかしこの時間帯は、仕事をしている人にとってはまだ帰宅途中で、リアルタイムで観戦するのが難しい。
もし終了時刻を午後8時ごろに設定できれば、仕事終わりに「生で」観戦できる人はかなり増えるのではないだろうか。
やはりスポーツは、リアルタイムで見るからこそ面白い。
最近は録画や配信で後から見ることもできるが、ライブで見る臨場感にはかなわない。
また、若い世代がテレビを見なくなっていることを考えると、YouTubeなどでの同時配信を本格的に検討するのも一案だろう。
開催時間を見直すだけでも、20代〜40代への訴求力はかなり変わってくるのではないかと思う。
2.もっと外の声を取り入れてもいいのではないか
次に気になるのは、大相撲の運営体制である。
現在、日本相撲協会の中枢は、ほぼすべてが元力士であり、しかも中高年の男性が中心だ。
言い方はよくないが、かなり閉じた世界であることは否めない。
外部の意見を取り入れる仕組みとして「横綱審議委員会」があるが、メンバーを見てみると、女性はいるものの、やはり年齢層は高めで、相撲に深く理解のある人が中心になっている。
資格要件には
「相撲を最も愛好し、相撲に深い理解を有する各方面の良識者」
とあるが、これは裏を返せば「現状に理解のある人」が選ばれやすい仕組みとも言える。
もちろん、相撲をよく知っている人の意見は重要だ。
しかし一方で、あまり相撲に詳しくない人、若い世代、女性、外国人など、違う視点の意見を聞く場があってもよいのではないだろうか。
「女人禁制」や「部屋制度」など、議論を呼びやすいテーマがあるのも事実だ。
だからこそ、批判を恐れず、建設的な意見を取り入れる姿勢が大切なのではないかと思う。
3.力士の怪我と健康管理について
もう一つ、どうしても気になるのが、力士の怪我と健康管理の問題である。
相撲は非常に激しい競技で、怪我が多い。
しかも、怪我によって本来の力を発揮できないまま引退してしまう力士も少なくない。
かつては「公傷制度」という、怪我による休場を一定程度考慮する制度があったが、現在は廃止されている。
制度運用の難しさがあったのだろうが、もう一度見直してもよいのではないかと思う。
また、力士の健康管理についても、もっと踏み込んだ対策が必要ではないだろうか。
過去の横綱を見ても、決して長命とは言えないケースが多い。
糖尿病などの生活習慣病を抱える力士も少なくないと言われている。
健康診断は行われているようだが、それだけで十分とは言いがたい。
力士の健康を守ることは、本人のためだけでなく、大相撲全体の未来にも関わる問題だ。
「怪我が多く、体を壊しやすい世界」という印象が強ければ、親が子どもを相撲の道に進ませたいと思わなくなるのも無理はない。
おわりに
以上が、私なりに考えた「大相撲をより良くするための提案」である。
もちろん、簡単に解決できる問題ばかりではないし、現場には現場の事情もあるだろう。
それでも、大相撲がこれからも多くの人に愛される存在であり続けるためには、どこかで変化が必要なのではないかと思う。
伝統を守ることと、時代に合わせて変わること。
そのバランスをどう取るのか。
それを考えること自体が、今の大相撲にとって大切なのではないだろうか。
なぜ大相撲は「スポーツ」と言い切れないのか――審判制度から考える
はじめに
このブログを書いている今、大相撲の初場所が行われており、連日ニュースでも大きく取り上げられている。
NHKのスポーツコーナーでも、まず大相撲の話題から始まることが多い。
それを見ていて、ふとこんなことを思った。
「大相撲って、スポーツなんだろうか?」
1.大相撲はスポーツなのだろうか?
最近、次のような記事を読んで、なるほどと思わされた。
相撲は神事を起源としていない。本場所前日に行われる「土俵祭」も、神職は関与していない。
「相撲は神事か、スポーツか」と問われることがあるが、どちらでもない。本質は「興行」である。
——(「女人禁制の今昔 鈴木正崇(1)土俵と女性の近現代史 伝統か差別か 絶えぬ議論」日経新聞1月7日夕刊より抜粋)
この記事では、相撲は「神事」でも「スポーツ」でもなく、「興行」であると明言されている。
確かに、江戸時代の勧進相撲を起源とし、人を集めるための見世物だったことを考えると、納得できる部分もある。
ただ一方で、こうも思ってしまう。
柔道だって、もともとは「武道」であった。
しかし今では、明確にスポーツとして扱われ、オリンピック競技にもなっている。
そう考えると、大相撲も「今はスポーツだ」と言ってもよいのではないか。
そんな疑問が浮かぶのも自然ではないだろうか。
2.スポーツと呼ばれるための条件とは?
そこでいったん、「そもそもスポーツとは何か」を整理してみたい。
私なりに考えると、スポーツと呼ばれるためには、少なくとも次のような条件が必要だと思う。
- 身体性があること(フィジカルな競技であること)
- 勝敗が明確であること
- ルールが明確で、公平に運用されていること
- 訓練や努力によって上達すること
この観点から見ると、大相撲はかなり多くの条件を満たしている。
激しい身体接触があり、勝敗は明確で、稽古なくして上達は不可能。
そう考えれば、「スポーツではない」と言い切るのは難しい。
では、何が引っかかるのか。
それは、「公平性」の部分である。
3.大相撲の審判制度が抱える構造的な問題
私が大相撲を「スポーツと言い切れない」と感じる最大の理由は、審判制度にある。
まず、大相撲には「部屋別総当たり制」がある。
これは、同じ部屋に所属する力士同士は原則として対戦しない、という制度だ。
その結果、力士は強い帰属意識を持ち、部屋は一種の「チーム」のような性格を持つことになる。
そしてもう一つ重要なのが、審判の存在だ。
大相撲の審判(勝負審判)は、すべて親方で構成されている。
親方とは、かつて力士だった人物であり、現在はそれぞれの部屋に所属している。
つまり――
- 力士は部屋に所属する
- 親方はその部屋を率いる立場
- その親方が、他の部屋の力士も含めて審判を務める
という構図になっている。
これは、野球やサッカーで言えば、
「各チームの監督が審判を兼ねている」ような状態に近い。
もちろん、実際に不正が行われていると言いたいわけではない。
親方たちは誠実に職務を果たしているはずだ。
ただし問題は、
「疑義が生じ得る構造になっている」
という点にある。
スポーツにおいて最も重要なのは、
「実際に公正であること」だけでなく
「公正であると誰もが納得できること」だからだ。
4.大相撲は、これからどうあるべきか
もし大相撲が「興行」である、という立場を明確に取るなら、
現在の制度でも大きな問題はないのかもしれない。
実際、プロレスでは審判の判定が演出の一部であることを、観客も承知している。
しかし、大相撲はそうではない。
スポーツとして扱われ、国際的な注目も集め、
近年では海外公演も行われている。
そうである以上、今後ますます
「スポーツとしての透明性」が問われていくはずだ。
その意味で、私は次の点が重要になると考えている。
- 審判の独立性を高めること
- 行司・審判を協会直属とし、部屋との距離を明確にすること
- 少なくとも、自分の部屋の力士が出場する取組では審判を務めない仕組みを検討すること
こうした改革は簡単ではないだろう。
しかし、もし大相撲が「スポーツ」として語られ続けることを望むのであれば、避けて通れない問題でもある。
おわりに
大相撲は、日本が世界に誇る文化であり、長い歴史を持つ伝統でもある。
その価値自体を否定するつもりはまったくない。
ただ、「スポーツとして見るのか」「興行として見るのか」で、求められる基準は変わってくる。
今回の初場所を見ながら、そんなことを考えた。
皆さんは、大相撲をどのように見ているだろうか。
なぜ灘中は、ガザの詩を入試に出したのか――国語が問いかけたもの
はじめに
今年の灘中入試で出題された国語の問題が、SNSでちょっとした議論を呼んでいる。
ガザ地区の子どもが書いた詩が、入試問題として使われたからだ。
これを「良い問題だ」と思うか、「違和感がある」と思うかで、意見は分かれている。
入試問題の具体的な内容については、例えば下記のリンク等からご覧いただきたい。
https://togetter.com/li/2654298
内容をご存じ無い方のために、概略だけ説明すると、ガザ地区のパレスチナ人の子どもの詩・2編が掲載され、それらの詩の読解問題が出題されている。
内容については、実際の詩を読んでいただかないとわからないと思われるので、一読されることをお勧めする。
出題の意図について(報道より)
こうした問題を出題した背景について、朝日新聞が同校に取材した内容が、報道されている。ただし、一時的に未登録でも全文が読めたが、現時点では一部しか公表されていない。その記事の中で、出題の意図として、同校の教師は以下のような趣旨で説明をしていた。
1.あくまでも国語の問題であって、政治信条を問うような意図は全くない
2.灘中の入学試験の試験科目に社会科は無いが、だからといって社会問題に関心を示さなくてもよい、という訳ではなく、社会問題についても日々ニュースや新聞に関心をもってほしい、と考えている。
3.詩の問題は頻繁に出しているが、それは論理的な読解を超えた感性を問おうとしている。子どもたちには、表面的に読むのではなく、詩の比喩が何を表そうとしているのか、本質を読み取って欲しい
(朝日新聞記事「灘中入試にパレスチナの惨状を表す詩 教頭に出題意図を聞いてみると」から筆者が抜粋し要約)
これを読むと、問題の意図としては以下の2点であると言える。
1.入学試験の試験科目に社会科が無いことを補うために、時事問題に関心を持ってもらうような試験問題を出す。
2.表面的なものに留まらない、さらに論理的なものだけではない読解力を問いたい。
実際に問題を解いてみると、パレスチナのガザ地区が、これまでどういう状況に置かれてきたのか、という「社会情勢」を知らなければ、学校側が求めているような回答にはたどり着けないようになっていることは容易に理解できる。
「論理を超えた読解力」とは何か
さて、私がここで真に話題にしたいのは、灘中学校の先生が言っている、「表面的なものに留まらない、さらに論理的なものだけではない読解力」とは、何を意味するのだろうか、そして、それを問うことにどのような意味がある、と言っているのか、ということである。
灘の卒業生であり、現在は希学園首都圏で学園長を務める山崎信之亮氏(※崎はたつさき)はは、それは「高度な感受性と想像力」であると指摘している。(※)
(※)「最難関・灘中が国語で投じた一石…パレスチナの現代詩から読み解く、今求められる読解力」https://resemom.jp/article/2026/01/21/84741.html Resemomリセマムより引用)
この意見は、「なるほど」という印象である。しかし、灘中学校が、「高度な感受性や想像力」を持つ学生を求めているのか、と言えばそれは違うような気がする。
なぜかと言えば、感受性や想像力は生まれつきの要素が大きく、それ自体を入試で選別することが適切だとは、私はあまり思えないからだ。
私が考えるのは、「共感力」がある生徒を求めているのではないか、ということだ。共感力は、他人がどう考えているのかを知る能力でもあるから、社会生活を営む上では必要性が高いものである。
他者の立場や気持ちを想像する力を高めるためには、きちんと学校生活や社会生活を送ったり、小説や漫画を読んだりするなどして、他人の気持ちに触れることが必要なものだ。学校側として、そうした努力を行っている生徒を求めていても不思議ではないと考える。
「共感力を測ること」への違和感?
ところが、このことについて、私の仲間の意見を求めたところ、ある人から次のように言われた。
「共感力を入試で測るなどということはおかしい。思想調査のようで気持ちが悪い」
なるほど。いろいろな意見があるものだと思った。しかし、こうした“反対意見”を聞くことで、自分の意見を相対化することができるので、たいへん有難いと思っている。
しかし、私はこの意見に対しては、以下の点で同意し難いと思っている。
まず、入試問題においてガザ地区の問題を取り上げた、ということについては、灘中学は否定しているものの、「政治信条を問われているのではないか」という疑問が出てもおかしくない、と思われる。
それに対して、「共感力」というものは、一般的な人間の能力に関するものであり、その人の思想とは関係のない領域の話である。従って、それを入試問題で測ったとしても、それ自体は別に問題ないのではないだろうか。
さらに、公立の学校であればともかく、灘中学校は私立の学校であり、学習指導要領などに反しない程度で、「自分たちの欲しい生徒」を選ぶことには、私は特に問題ないと考える。もしも、その学校の方針に賛成できなければ、別の学校を選べばよいのである。
最後に
ところで、入試で出題された詩を読んでみると、とても悲しくせつない気持ちがしてくる。
こうした詩を、緊張している入学試験の会場で読んで、冷静に読解し、共感しなければならない。最難関の中学校の一つであるとはいえ、小学生のみなさんもたいへんだなぁ、と改めて思った次第である。
さらに、私たち大人が、こうした問題にきちんと向き合っているのか、ということが同時に問われているような気がする。
このブログを読まれた方は、この詩を読まれてどのようにお感じになっただろうか。